Gyakutaniメモ

生物学と心理学の勉強メモ・本の感想

【感想】バイオインフォマティクスを用いた研究開発のポイントと実例(4)

第4章 予言はどこに書いてあるのか

 本章は、ヒステリシスの話です。卑近なヒステリシスの例と、細胞実験への応用可能性についての説明が次のように始まります。

 

・例えば、外部磁界によって磁性体が得る磁力とその向きは、ヒステリシスを示す。ヒステリシス環線*1の囲む面積が小さいものは磁気ヘッドに、大きなものは永久磁石に利用される。
・任意の細胞を培養する際の二大障壁は、無菌操作の確立と、培地の発見である。無菌操作の成否は実験直後に判明するが、培地選択の成否は培養開始後一定期間の観察が必要である。

・培地の探索には、近縁種で実績のある培地を試したり、既知の培地や添加剤を混合したり、由来生物の結成を利用することもあるが、いずれもコストが大きい。

・そこで、著者はヒステリシスを培地選択の定量的指標にできるのではないかと考えた。著者の経験より、適合した培地は初代培養の再現性が高く安定しているので、環境変化の影響を受けづらいと考えたためだ。

・まず、適合培地と非最適培地を用いて、第二章で行った生理活性物質濃度とトランスクリプトームの情報エントロピーのグラフに現れるヒステリシス環線内の大きさを比較した。すると、適合培地の方が大きい曲面を示した。

 

 第2章に掲載されたグラフではヒステリシス曲面なるものが私には確認できなかったので、詳細な結果が気になりましたが、本章ではグラフの掲示はありませんでした。そこで、参照先の特願を確認すると、確かに綺麗な曲面が出ています。この結果を二章で見たかったです。
 著者も指摘するように、ヒステリシス環線の囲む面積と培地適合性の関係を定式化することは難しいでしょう。しかも、ヒステリシス環線を求めるコストもきっと大きいので、本末転倒でしょう。

 その後、細胞の培養温度に対する細胞サイズのヒステリシスの話になります。

 

・細胞の培養温度を低下させると、ある温度から急に細胞サイズが小さくなることが知られており、ヒステリシスを予見させる。

・細胞はタンパク質と水のゲルとゾルでできているが、ヒドロゲルの体積は環境温度に対して多極安定性とヒステリシスを示すことが知られている。

・ほとんどのヒドロゲルは温度の上昇で体積が小さくなるが、一部は温度の低下で体積が小さくなる。そこで、細胞サイズの環境温度に対するヒステリシスを検証した。

・浮遊細胞を温度を8時間毎に上げたり下げたりしながら培養し、vicellで細胞の直径を測定した。するとヒステリシスを示した*2

 

 このグラフの各点はフラスコ中の細胞集団の平均値のような気がします。それならば、各フラスコについての経過を示してくれないとヒステリシスを示しているかは分からないのではないでしょうか。

 ちなみに、この培養温度-細胞直径のグラフは、多極安定なように見えます。

 

・次に、接着性細胞を用いて同様の実験を行い*3、顕微鏡写真で1分刻みで1細胞ごとの挙動を追跡した。すると98個中61個が1回だけ分裂した*4

・そのうち6個は、二回目の31℃*5で初めて分裂していた。

・温度依存的な細胞サイズの変化が細胞の何と関連するかを見るために適当だと考え、29℃→27℃→29℃での細胞サイズを測定した。しかし、特に細胞サイズの変化に傾向は無かった。そのため、1細胞ずつ観察するとそれが見えない。しかし、二回の29℃の平均サイズより27℃のサイズが小さい細胞では互いに似た娘細胞が、二回の29℃の平均サイズより27℃のサイズが大きい細胞では互いに似ない娘細胞が生まれたことから、温度と細胞サイズのヒステリシス環線の囲む面積が大きい細胞の方が遺伝が起こりやすいのだろう。ヒステリシス環線の囲む面積が大きい細胞の方が、分裂直前の娘細胞間の同期が活発なのではないか。

 

 ここで何故か浮遊細胞を使った実験で平均値として27℃で細胞サイズの低下が観察されたことと比較しています。接着性細胞と浮遊性細胞など、条件が異なるからナンセンスではないでしょうか。ふつうに接着性細胞を使った実験での平均値を求めれば良いだけでしょう。また、二回の29℃の平均サイズより27℃のサイズが小さいことがなぜヒステリシス環線の囲む面積が大きいことの指標になるかも不明です。

 この後、このヒステリシスの応用可能性についての実験紹介とそれにかかる議論が以下のようにあって、この章は終わりです。


・娘細胞が親細胞と似ることは継代安定性と言い、バイオ医薬品などの製造用細胞株に必要な特長である。

・現場的には、生産する抗体タンパク質の濃度が継代を経ても減少しないことを継代安定性が高いと言う。

・継代安定性を調べるには通常長期間の継代が必要だが、これを短期に調べることができれば、生産に用いる細胞株の候補を増やせる。

 

・浮遊性の抗体生産細胞を同様の温度サイクル下で培養して直径を測定すると、やはり同じようなヒステリシスを示した。

・さらに、ヒステリシス環線の面積の大きさ*6と継代安定性*7は相関した。

・再度温度サイクル中で細胞を培養して、今度はトランスクリプトームのコルモゴロフ複雑性を算出した。すると、温度に対してヒステリシスは示さなかった。

・以上より、今回の遺伝現象には、核酸からなる遺伝情報より、コロイド溶液の性質・開放系秩序の遺伝情報の影響が大きいと考えられた。

 

 

*1:本文中では「ヒステリシス曲面」という言葉が使用されていますが、一般的ではないし、明らかに曲面ではないため、ここでは「環線」を用います。

*2:温度制御について、37℃→33℃→29℃→27℃→29℃→31℃→33℃→37℃と記されているが、グラフ中には31℃のデータが載っていません。31℃になると安定極を移動したという記述があり重要な点だと考えられるので、残念です。

*3:遅延をヒステリシスと誤解していないことを調べるために、「第2章と同様により短い環境変化経験時間で、同様の結果が出るか調べれば良い。」とあるが、なぜか同じ時間刻みでの温度変化をしている。

*4:この倍加時間は24時間

*5:二回目の31℃とは何のことだろうか。31℃と33℃を間違えているのか、31℃の一回目を書き忘れているのか分からない。そもそも31℃は無かったのかもしれない。重要な箇所であるだけによく分からないのが残念。

*6:恐らく正確には二回の29℃での細胞サイズの差のことだと思われます。

*7:継代後での生産するモノクローナル抗体の力価の継代前のそれに対する比