Gyakutaniメモ

生物学と心理学の勉強メモ・本の感想

【感想】バイオインフォマティクスを用いた研究開発のポイントと実例(3)

第3章 多様性の価値

 細胞の不均一さ(多様性)を役に立てるのが本章のゴールだそうです。そこで、著者は物質製造用細胞のサブポピュレーションに着目したようです。小数派過ぎるものに対する知見は効果量が小さいので、サブポピュレーションということらしいです。多様性そのものというよりは、平均値からは検出されないような性質を持った小集団を探索してその性質を活かすということのようです。

 

 本章の骨格がよく分からないまま、均一な培養条件の模索が始まります。以下、概要です。

 

・OpenFOAMで水平方向の加速度が周期変動するシミュレーションで、フラスコ内で液体と挙動をともにする粒子の速度と位置をトレースした。水深7 mmでは粒子の経験する速度にばらつきが生じるが、水深13 mmでそのようなばらつきが無くなることが分かった。

・この条件で細胞を培養して、シングルセルトランスクリプトームを取得した。この細胞は3~4日で対数増殖期になり、7~10日目まで最高密度が維持され(アポトーシスマーカーをチェックすると、数割が12時間以内にアポトーシスを控えていたので、細胞の増殖は停止していないかもしれない)、13日経過すると培養が崩壊する。トランスクリプトームは4、8、11日目に取得。

・シングルセルトランスクリプトームは、細胞周期依存的にデータを分類できると言われるが、今回はそうはならなかった。(よく用いられるのは接着性細胞であるが)今回用いたのは、浮遊性の細胞だった。

・そこで、その親株の接着性細胞をシャーレで培養したのち細胞周期でソーティングし、得られた32個の細胞のトランスクリプトームをPCAにかけた。すると、G1/G0期G2/M期で異なるクラスタに分かれた。したがって、よく言われるシングルセルのトランスクリプトームの細胞周期依存性は、接着性細胞の細胞周期に依存して変動する細胞周りの微小環境の変動によって引き起こされたと結論づけた。

 

 この結論はどうでしょうか。確かに浮遊性細胞の特徴を炙り出した重要な知見だと言えます。しかし、このデータだけで微小環境の変動だと結論づけられるものなのでしょうか。

 因果関係の正しさもよく分かりませんでした。接着性細胞であると何らかの別の原因でトランスクリプトームに細胞周期依存性が生じ、さらに微小環境の変動も引き起こすというシナリオはありえないのでしょうか。

 さらに、この結論となった接着性細胞トランスクリプトームのPCAである図8は微妙ではないでしょうか。確かにG2/M期の点は偏在していますが、統計的な処理をするとG1/G0期の点と異なる集団であるとこの図8からは言えないのではないでしょうか。生物学データから意味を見出すというテーマの書籍なのに、統計的側面がたびたび省略されているのが気になります。データの点数が少ないという印象もあります。これはNGSのコストの問題が出ているのかもしれません。浮遊性細胞のPCAの点が細胞周期で塗分けられていないのも謎です。

 

 結局、浮遊性細胞のトランスクリプトームPCAからはサブポピュレーションが現れないので、個々の遺伝子の発現量に基づく分類の可能性を探索したそうです。以下、概要です。

 

・それぞれの遺伝子について発現量ヒストグラムを描くと、エノラーゼなど約100遺伝子で二峰性が確認され、PCA上の点も分類することが分かった。

・この特定の遺伝子によるサブポピュレーションは、培養4日目で確認されたが、8日目と11日目では確認されなかった(多様化していた)。

・その理由としてDNA変異の蓄積による、トランスクリプトーム多様化を想定し、ミトコンドリアDNA配列を解析した。培養日数に関わらずDNA配列は多様化していた(そしてヘテロプラスミー頻度が予想より高かった、という主張。多分)

・複数の一細胞トランスクリプトームを混合したシミュレーションを行うと、ヘテロプラスミーの部位が異常に多くなるので、1細胞由来の(つもりの)クローン集団のモノクロナリティ検証にヘテロプラスミー頻度が使えそうである。

 

 この実験の意義はよく分かりませんでした。そもそもこの培養実験で1細胞スタートではなかったと言いたいのでしょうか。1細胞スタートだったのならDNA変異率と世代数からどのくらい変異が蓄積しているか分かるのではないでしょうか。

 また、配列多様性が培養日数に依存していなかったことは、何を意味しているのでしょうか。多様性が変異の蓄積で無く、そもそもの集団がヘテロジェネティックであったということでしょうか。細胞由来でも変異が蓄積すれば多様化するでしょうし、モノクロナリティ検証にDNA配列解析を用いるのは当たり前ではないでしょうか。私が何か勘違いしているのか?

 

 結局ゴールであった細胞の不均一さを役立てることはできたのでしょうか。本章を読むのは、地図も持たないまま暗闇の中を腕を引っ張って引き回された気分です。流体シミュレーションとPCAくらいしかしておらず、これはバイオインフォマティクスだったのだろうかとも思います。

 

 最後に、前口動物の血球細胞の多様性に話が移ります。以下、概要です。

 

・1細胞トランスクリプトームによると、培養した血球細胞は多様な攻撃対象のポジティブリスト(攻撃対象を認識できる。

・ヒトの免疫はネガティブリストで、攻撃しない対象を認識してそれ以外を攻撃する)を持っていることが分かった。

ポジティブリストは攻撃対象の増加に従い検索コストが増大するし、不測の事態に対応しにくい。トランスクリプトーム多様性は、検索コスト増大を避けるために血球間で分業を示唆しているかもしれない。

・しかし、分業は有効血球濃度を下げることにもなる。実際に細胞貪食シミュレーション(微生物が撒かれた二次元平面上を血球がランダムウォークする)をしてみたところ、体の大きさがカブトムシの幼虫程度だと異物見逃しの確率が12%程度だが、体のサイズが5倍になると80%近くになる*1

・ここで、巨大昆虫の絶滅について、ポジティブリストで大きな体から多様な侵入者を排除するのが難しいことを原因とする仮説を提唱する。微生物特有のペプチドグリカンに限れば、昆虫の免疫タンパク質であるペプチドグリカン認識タンパク質の多様性は、分子系統樹から単純に考えれば増加している。このペプチドグリカン多様化が巨大昆虫絶滅にクリティカルだったのではないか。

・既存の説として、大気中の酸素濃度低下による血中酸素濃度の維持障害を紹介する。しかし、現生昆虫の血中酸素濃度はとても低く、また肺の発見もあるため、この説は正しくないのではないか。

 

 巨大昆虫絶滅のペプチドグリカン多様化原因説は実に面白い話だが、私の知識では議論の妥当性が判断できませんでした。一部の軟体動物などの巨大さについてはどう考えているのでしょうか。

 

*1:微生物は動かない設定になっていますが、タイムスケール的に妥当なのでしょうか。また、シミュレーションの結果から0.006 mm3あたり0.1%の除去失敗率が設定されていますが、これもなぜそうなったのか分かりませんでした。